I`m Father`s Son
2035/12/15
 
     
 


12月12日

父永眠。

 
     

     
  思いめぐりて...
2035/11/25
 
     
 


おひさしぶりです。コーブチです。

先日11月13日(金)、長年苦しめられてきた先天的な持病=動力パーツのメンテナンスのために短期集中入院してきました。

経過はまずまずで、まだ少しの違和感が残りますが、月日の経過とともに回復してゆくものと信じて毎日を過ごしています。特にこの約1年間は発作のわずらわしさ、不安との闘いだったので、それが取り払われたということが何よりも嬉しいです。ここ数カ月服用していた強めの薬も、もう飲まなくていいんです。。。

医学の進歩というのは目ざましく、15年程まえには手術後1ヶ月ほどの入院が必要だと言われた治療がカテーテル技術の導入、進歩のおかげでたった1日の入院で済むようになりました。もちろんその後のいくらかの安静、休養等が望ましいとは言われましたが、僕は金曜日に治療、1日入院で土曜日午前中に退院し、1日休養しただけで日曜の深夜から仕事に出ました。ドクター、ごめんなさい。。。
決して“仕事の鬼”というわけではありません。成りゆき上そういう任務についているだけのこと。個人事業主という立場上、誰もあてにできない現状があります。その後も固定されていた右足とメンテされたパーツ(笑)に気を配りながらも、毎日を不自由なく暮らしています。傷口とは言っても、太い注射跡のかさぶたのような跡が数カ所、右そ徑部に残っている程度です。思っていた以上の痛みと苦しみでしたが、とにもかくにも短期間で日常生活に戻れる病気であり、治療であったことは僕にとって何よりの“幸運”だったと思います。

むしろ、運が悪かったというかタイミングが悪かったのはこの春、オヤジにガンが見つかったことで経済的にも生活面でも年老いた両親を助けてやらなければならなかったので、精神的に滅入りそうになったこともありました。でも、かつては頑丈だけが取り柄で家族のことなどかえりみず、好き放題して生きてきたオヤジが、人間ってこんなにも弱くなるものかというほど衰弱した姿を見ると不憫でなりませんでした。
人間って弱いよね。でもあんな手術をしても生きている・・・思った程弱くもないのかもしれない。

でも、そのおかげで自分で自分を励ますこともできました。
「俺はまだ大丈夫だ!」
そう言い聞かせて、この秋まで持ちこたえました。
この年になって、いろんなことを学びました。いろんなことを知り、感じ、考えました。

皆さんにはご心配かけたくないという気持ちから、詳細は伏せさせていただいておりましたが、数々の不義理をお許し下さい。
このサイトについても、復帰するのかと思わせては、また停滞という繰り返しで、なかなか思うようにはいきませんでした。申し訳ありません。
・・・『閉鎖』という二文字も何度か頭をよぎりましたが、DEVICE DRIVERという自分で掲げた屋台の看板への愛着と、仲間と呼べるみんなが時折思い出しては立ち寄れる場所として存在していたいという思いもありました。すでに『攻殻機動隊』という作品のファンサイトとしての役割や意義というものは果たされていないので、今後どのような展開になるか自分でもわかりませんが、世界観を借りたパラレルワールドとして、また自分が好きなSFのグラフィックサイトとして、オリジナル化していくと思います。おそらく自分のライフワークのひとつとして、この先もずっと存在し続けると思います。
仕事も生活パターンもしばらくは変わりそうにもないので、劇的な変化、更新はできませんが、とりあえず存続の意志だけでもお伝えしたいと思い、思うままにキーを叩いた次第です。体調の回復に努めるとともに少しずつD.D.も再構築していきたいと思っています。
それでは、また。

 
     

     
  攻殻仲間
2035/06/11
 
     
 


先日、とあるイラストサイトで懐かしい人に会いました。鋭い感性とパッションの絵師、紅玉さん。
このD.D.にはよく遊びに来てくれて、よく攻殻や士郎作品について熱く語り合った仲間です。
なんとも嬉しい“再会”でした。
散り散りになってしまった仲間達もどうしてるかな?と思いを馳せることがよくあるのですが、こうして久しぶりにメールで語り合っても、すぐ戻れる仲間というのはいいもんです。あの頃、短かったかもしれないけど、ひとつのコミュニティのように繋がっていたサイトさんや遊びに来てくれていた常連さんたちも何か、いわゆるオタクと一言で片付けられない、そういうちょっと違う?人が吸い寄せられるように集まっていたような気がします。まず、みんなが礼儀正しかった。今、横行している2チャンネル用語などを連発し、我が物顔で語る輩もいなかった。そういう振る舞いを許さない無言の壁が(笑)存在してたのかな?とも思います。

来月で6周年を迎える当サイトもそろそろ動かないと・・・その新企画の話にも「いつまでも待っていますよ」と言ってくれた紅玉さんでした。

 
     

     
  安らかに...
2034/10/03
 
     
 


 「Sと申します。今度こちらの区域を担当することになりました。よろしくお願いします。」
ごく普通の真面目そうな男が今度の営業担当として挨拶に来ました。ガンで闘病中のAさんから代わって2人目の営業さん。。。その時、Aさんの状態が思わしくないことを聞かされました。見舞いに行きたい旨を伝えると、
「たぶん、もう誰が来てるかもわからないような状態かと・・・」
9月の半ばだったと思います。そして、昨日、データ入稿で来社したSさんが会話の中で言いました。
「Aさんが、月曜日に亡くなりました」
僕は覚悟はしていたと言え、言葉が出ず「えっ?」と言ったきり下を向くしかありませんでした。

[月曜日・・・僕が持病を再発させて病院で2度目の処置を受けた日だ]

 データを渡して、Sさんを見送り席に戻り、一人こみあげるものをこらえていました。体を隠したMacの向こうから事務員さんが
「いい人だったのにね」
と言うのが聴こえました。
「そ、そうですね・・・」

 ゴールデンウィーク前に(5月1日の日記参照)また入院しなければならないことを僕に伝え、詫びと礼を言って出て行ったあの姿が最後になってしまった・・・
あの時、僕が「お大事にしてください」と掛けた声に、こちらを振り向かずに「ありがとうございます」と会釈してドアを開けて行った姿に、何か不思議な感覚があったのだけれど、もしかしたらあの時、Aさんは「これが最後だ」とわかっていたのかな?と思いました。

Aさんは、最後の時まで、ゆっくりとご家族との時間を持てたのでしょうか。苦しまず、眠るように逝けたのでしょうか。
人間の命なんてはかないものですね。
そして、人間って滑稽なものです。

こんなに悲しくても、昼休みには腹が減ってカップめんをすすりました。

バカみたいです。
でもこれが現実なんですね。
現実と向き合うということは、時にとても空虚なことだと思い知らされます。

 
     

     
  おおっ♪
2034/08/22
 
     
 


めんどうなのでお知らせ文をコピペ(笑)

『1stシリーズのエンディング曲「lithium flower」や、タチコマをテーマにした「be human」など、人気アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で使われた多くの楽曲でヴォーカルを手がけた、ニューヨーク在住オーストラリア人シンガー・ソングライター、スコット・マシュー(Scott Matthew)。同作のほか『カウボーイ・ビバップ』でも菅野よう子と組み、多くの名曲を生み出してきた彼が、ついに自身のデビュー・アルバムをリリース! セルフ・タイトルとなった『スコット・マシュー』を発売します。』

とのことです♪あの声、好きなんですよね〜。前から探してたんですけど、ついにオリジナルアルバムの情報をげっとしましたよ。
動画なんかもありますので観てみたら、想像通りの容姿でした。ま、もうちょっとゴツイ感じもしていたのですが、やっぱりヒゲです。あの声でヒゲが無かったら訴えてやろうと思いました。

↓こちらで数曲視聴できます。音的にも好みでです。
http://www.myspace.com/scottmatthewmusic

↓でこちらがオフィ猿さいと
http://www.scottmatthewmusic.com/

 
     

     
  *********** 5 ************
2034/07/11
 
     
 


おっきな声じゃ言えないけど、昨日、DD5周年記念日でした♪いつもありがとう〜!

 
     

     
  横浜 赤レンガ倉庫に行って来ました♪
2034/06/30
 
     
 


6月28日(土)薄曇りの湾岸を走って横浜まで、来生たかおさんのLiveに行って来ました。それにしても高所恐怖症の僕には鶴見つばさ橋とベイブリッジは怖い((>_<))
冗談じゃない高さとデカさで目がクラクラしちゃう(@_@)高い所と眼前の巨大な建造物に弱いボク・・・ダブルパンチですだ。
眼下にはお世辞にもキレいとは言えない海が広がってるし。。。走行中は生きた心地がしませんでした。

なんとか意識を取り戻し、高速を下りて横浜市内を案内板をたよりに赤レンガ倉庫にたどり着きました。
「おおっこれが噂の赤レンガ倉庫!」
なんとも風情のあるたたずまい。
横浜という港町全体がどこか明治〜大正の異国情緒を感じさせる町並みで、高速下りてからずっと田舎者らしくキョロキョロしてしまいました。
 赤レンガ倉庫は明治政府によって建設され、戦後、役目を終えた後も残され、横浜市が国から取得、5年をかけて再生、2002年にオープンさせたそうです。
倉庫内にはイベントスペース、ホール、テナント(インテリア小物、ファーストフード、カフェなどなど...etc.)などがあって壁や天井などに倉庫の雰囲気がそのまま活かして残されていました。
レンガの壁はもちろん、ホールの天井にはむきだしの鉄骨(?)や網になっている中にはワイヤーと歯車のようなメカ部分も見えていて、ちょっとしたスチームパンクの世界みたい。
古い建造物のこういう利用方法っていいなあ。

 午後5時開演。あっという間に2時間が過ぎました。いい雰囲気の会場で、いい歌を聴けて、僕自身もリフレッシュできたような気がします。東京のビル街にあるホールじゃなくて、横浜の赤レンガ倉庫とその周辺のロケーションも手伝って、いい一日を過ごせました。
赤レンガ倉庫を離れて、近くのショピングモールで夕食をとり、再び赤レンガ倉庫に戻りました。その時、バルコニーに出られることを知り、出てみるとそこはまた素敵な景色が広がっていました。

街の灯りがとてもきれいねヨコハマ〜♪
ブルーライトヨコハマ〜〜〜♪(古)

 
     

     
  免許の行進
2034/06/26
 
     
 


 先日22日(日)の雨の日のこと。
 今は誕生日から1ヶ月後まで更新の手続きできるんですね〜。しかも日曜日も講習受けられるようになったのはいいことだ。以前ならアシスタント嬢に「今日、免許の更新だから」と、平日でも平気で行けたのだが、今となっては悲しき一人の業務委託。代わりもいないから休みも遅刻も早退もできない。日曜日しかないのだ。1年半前に免停くらったオイラは違反者講習だから、当然近くの警察署ではやってくれない。埼玉の免許センターというのは鴻巣という非常にへんぴな(鴻巣市民の皆さんすまぬ!)所にあって、県南、県北部の人々はここまで来るのに大変な思いをするのら。
ここまで書いて思った。

 ああ、なんか普通のブログの日記みたいなこと書いてるぞ?

 たまにはいいか。オイラも普通の人間さ。こんな生活だってあるのよ。
ネットで調べたら、「日曜日の免許センターは尋常じゃなく混む」と!ならば早く寝て、早く出ようと思ったのだけれど、結局徹夜して、寝ずに朝風呂入ったりしたもんだから、免許センターに付いたのは10時頃。もしかしたらこれは、長蛇の列で11時までの受付に間に合わず、目の前で「午前の受付はここまででーす」なんてこともあるのかな?とびくびくしていたのだけれど・・・どうやら混雑は朝の受付開始時のことらしい。それほど待たずに受付を済ませ、視力検査やら、写真撮影、講習教室へと通された。なーんだ、焦らずにのんびり来たほうが空いてるのか。まあ、雨も手伝ってのことかもしれないが、どきどきして損した。縮まった寿命を返せ!
最近仕事柄モニターを睨みつける時間が多いので乱視が進んでおり、徹夜も重なっていたので視力検査が心配だった。
係「ハイ、これ見えますか〜?」
コーブチ「右です」
係「ハイ、これは?」
コーブチ「上!」
ここまでは見えた。しかし、次のがかすんでよく見えない。
係「目をこらしてもいいですよ〜。がんばって〜!」
コ−ブチ「下ですか!?」
係「はい当たりですよ〜。自信持って下さい。」
なかなかユーモアのあるいい人だ。
 しかし講習が眠かった。もうビデオ見てる時は体がゆらゆらしちゃって、たぶん後ろの席の人には不信なデカいヤツに思えたろうな。教室は暑いし、眠いしでゆらゆら、頭はブンブン振るし、シャツをパタパタさせるし、自分でも落ち着きのないヤツだと思いながらも、そうしてないと墜落睡眠に陥るので皆さん許して下さい、教官、許してね、と心の中で懺悔した。
 なんとか2時間の講習を持ちこたえて終了。ICチップ入りになったという免許証を受け取って帰路につく。ICチップになるにあたって、申請の時にパスワードを2つ設定しなければならないのだけれど、これは忘れる人が続出すると思うなあ。どういう場面でこのパスワードが必要になるのか、まだよくわからないんだけど。(なんか書いてあったけど、理解できてないだけ)
 またしても「眼鏡等使用」は免れたのだが、普通車の区分も変わったとかで、『免許の条件等』のところに、なにやらまたわかりにくい注釈が書かれている。
“中型車は中型車(8t)に限る”
 ???あほか?もうちとなんとかならんのか?警察!

しかし・・・更新3回分の免許証が手元に残ってるけど、今回、5年前(ゴールドだったの!)、その3年前、単純計算で8年前とほとんど写真の顔が変わってないなあ。いいのか悪いのか・・・。

今日は普通のどうでもいいような日記でした。

 
     

     
  はて?
2034/06/06
 
     
 


送られてくるスパムメールの山の中から少ない有益なメールを見つけるのも一苦労だけど、ニュースメールの中に気になる記事が・・・

http://www.news.janjan.jp/area/0806/0806038608/1.php

まあ簡単に言えば、教員である人が大阪府知事の公務員給与削減に反対している記事なのだけれど、ただひたすら教員の無知ぶり、一般常識の不足を露呈しまくっていて逆に哀れに思えた。

---こんな人が思春期の子供たちに何を教えらるのか?---

あなたの教えている生徒たちの家庭の親たちは、あなたと同じ給料をもらおうとしたらどれだけ大変か、わかってるの?それとも自分たちの職務だけが、他の職業よりもハードだから薄給だと思ってるの?
知事の給料と自分の給料を比較してどうすんの?一般企業で社員が社長の給料と比べて「薄給だ」と文句言っているようなもの。だいたい公務員の『手取り』って言ったら、いろいろ引かれて手にすることのできる額でしょ?それで34.5万円が薄給って、どういう金銭感覚してるんだろ???
 しかも、それをはずかしげもなくネットで抗議として記事にして発表してることも理解不能。。。

 国の財政難や高齢化社会も深刻だけど、教育改革も早急に手をつけないと日本の将来は大変なことになるかもしれない。

 
     

     
  なぐさめの雨。。。
2034/05/31
 
     
 


 今日、5月31日は去年死んだ子猫のシエロの一周忌です。
今日も外は雨が降っています。
あの日、僕は家族からの知らせを受けて、
降り出した雨の中、5月にしては寒い空気に
体をこわばらせて、バイクを走らせていました。
ただひたすら・・・

僕の手に抱かれたシエロは、苦しかったのでしょうか、
目をあけたままで、柔らかく白い体毛にかすかなぬくもりが残っていて、今にも動き出しそうでした。

 あれからもう1年の月日がたって、普段は気持ちも上向いていますが、シエロのことを思い出すたびに、なぜ救ってやれなかったのか、やりきれない気持ちになるのも事実です。

 夏の暑い日に紙袋に入れられて、まだ目もあかない、へその緒もついたままの仔猫が4匹捨てられていました。タオルにくるんでミルクをやったり、体を拭いてやったりしていましたが、そのうちの2匹は1週間くらいのうちに立て続けに息を引き取り、残った2匹がシエロとセラでした。願いが通じたのか2匹は元気になってすくすくと育ってくれました。とくにシエロは僕を親猫とでも思っていたのでしょうか、布団に入ってきては僕の手にじゃれついたり、懐に入り込んで一緒に寝ていました。
 2007年が明けて朝からフルタイムで仕事場に出なければならなくなった僕はシエロとの時間も減りました。そして5月、シエロの異変に気づいたときはもう遅かったんです。きっと寂しさとか先住猫たちとの相性もあって、ストレスになっていたんでしょうね。
たった9ヶ月の命でした。
 誰も責められないけれど、僕は自分のことが情けなかった。
忙しくて荒んでいた時期、僕の心をいつも癒してくれたシエロのことを僕は我が子のように、忘れることはないでしょう。
絶対忘れない。

ひとり残ったクールだったセラが最近、
つかの間の睡眠をむさぼる僕の布団に入ってきて甘えるようになりました。
「ごめんな」と頭を撫でて布団を出なくてはならない時が辛いです。
でも、セラはたくましいです。シエロや他の兄妹たちののぶんまで強くなったみたいです。
それがなにより嬉しい。

仕事の帰りに白い花でも買って帰ることにします。

 
     

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